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心の性別ってあるのだろうか

哲学的な話になっちゃいます。



生物学的に男女は識別可能です。



染色体を調べれば大体2つに大別できるからです。



そこから外れる方々は生物学的には男女に分類できず



性別としては未分類になるでしょう。



では「心の性別」はどうでしょうか



私たちは何をもって心の性別を判断するのでしょうか



「男性的な傾向」、「女性的な傾向」という判断基準があり



どちらにより対象者の性格が当てはまるかで判断するしか無いのが現状です



それではどちらにも偏らなかった場合はどうなるのでしょうか



心の性別は中性?分類不可能?



でもそういう人はたくさんいることでしょう



それらの人たちが総じて精神的苦痛を受けているのでしょうか



心の性別が無いのに体の性別は男性だ、女性だと苦痛を感じているのでしょうか



しかも、この分類でいう心の性別と体の性別が真逆の人間ですらたくさんいるでしょう



そういう人たちは日常生活に支障を期待しているのでしょうか



答えは否でしょう。



結局のところ



いわゆる「心の性別」というものはなく



「男性でありたい願望」、「女性でありたい願望」と実際の体のギャップが



性転換願望を抱く人々の



苦しみの原因であり



理解がないように思える医者が「心の性別」を勘違いだと



一蹴してしまうのは論理的には正しいのです。(言い方が当事者の感情をどう傷つけるかはさておき)



おそらく現在の性格の男性的、女性的という傾向を反対にした文化圏で育った人間は



標準的な性格的な性別に対する基準が、私たちとは反対にインストールされて育つのではないでしょうか



それほど心というのは



うつろうものであり、



染色体の配列のごとく物理的にかっちりと



大別できるものでもないのではないでしょうか。



それを踏まえると「心の性別」を権利のように振りかざすことは



やはりいつまでたっても一般人の理解を得ることができないやり方であり



「男性でありたい願望」、「女性でありたい願望」という



ちょっと耳障りは悪いかもしれないが正確な表現を使って



よりなりたい自分を地道に目指す方が



周りからの同情や哀れみを買うことはできなくなりますが



人間としては誠実なのではないかと思うのです。
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